In The Flight

小説のようなものだと思ってください

僕は死ぬかもしれない

そう遠くうちに僕は死ぬかもしれない。

 

死を意識したことはこれまでの人生で何度もある。車に轢かれかけた時や、人間ピラミッドの上から落ちた時や、よくわからない病気にかかって病院で診察結果を待っていた時。或いは——むしろこちらの方が圧倒的に機会が多いが——社会的、経済的、あるいはその他の理由により著しいショックを受けた時。簡単に言えば、死にたくなった、自殺を考えている、ということだ。ご多分に漏れず、今、僕がそう遠くないうちに死ぬかもしれないと考えている理由もこれだ。

 

 僕はこれまでの人生で何度も死にたくなった。そのたび死ななかった。死にたくなった理由のだいたいは後から振り返ればくだらないものだ。簡単に解決したり、簡単に立ち直ったりできるものが大半だ。そうでなくても、うまく心に折り合いをつけて、納得したり諦めたりすることもある。僕はこれまで死にたくなるたびに、そうやってそれぞれの死にたさを克服してきた。

 

死にたい人は今や世界中にあふれている。ツイッターフェイスブックで「死にたい」と検索すればそうした書き込みを山ほど見つけられるだろう。あまりにもありふれているものだから「死にたい詐欺」とか「かまってちゃん」なんて呼ばれたりもしている。「死にたい」と周りに告げることは自己中心的な迷惑行為であると考えられている。だから僕は家族や知人に「死にたい」などと話したことはないし、これからもそうするつもりはない。

 

それでも、今回は本当に死ぬかもしれないと、僕は今思っている。一晩寝ればすぐに収まるかもしれないし、ペニスをこすればどうでもよくなるかもしれない。今まで何度も経験してきたことだ。それでも、僕は死ぬかもしれないと思っている。数か月のうちに結果は出ると思う。それまでは、このくだらないブログをできるだけ欠かさず更新しようと思っている。